酔いどれデザイン日誌 - Drunken Design Diary -

都内でデザインファームを営む酔っ払いが、UI/UX論やデザイン思考論を書き殴ります。

都内でデザインファームを営む酔っ払いが、UI/UX論やデザイン思考論を書き殴ります。

そろそろ「UI/UX」表記論争に決着をつけようじゃないか

突然ですが「UI/UX」という表記について、皆さんどう思いますか?肯定的ですか?否定的ですか?おそらく2019年現在では、否定意見の方がやや優勢かなと思います。

結論から先に書くと、私はもうこの表記は堂々と使って良いと思ってます。そんなわけないだろう!!!と怒る気持ちはわかります。まあ、言い分を聞いて行ってください。

目次

「UI/UX」表記批判でよくみる意見

一般人の間ではどうか知りませんが、少なくともデザイナー界隈では「UI/UX」という表記は、一部で禁忌に近い扱いを受けています。

否定派の皆様の主な主張は以下のようなものが多いのではないでしょうか(自分調べ)。

  • UIとUXは字面が似ているだけで全くの別物!
  • UIとUXの重要度は全然違うので並列で扱うな!
  • UXは誰もが当然意識すべきなのでわざわざ書かなくていい!
  • UIから得られる体験だけがUXじゃない!
  • ユーザビリティのことをUXって言っていて気持ち悪い!

はい、全部正しいです。ぐうの音も出ないほどの正論ばかりです。でも最近思うんです。UI/UXって表記を使ってる人も、こんな基本的なことくらい当然分かっててあえて使ってるのでは??と。

例えば私は開発サイドやビジネスサイドの人間とコミュニケーションを取ることがよくありますが、彼らとの話にはよく「UI/UX」という言葉が登場します。しかし私はそれらを訂正することはしません。なぜなら、私と彼らが使うUI/UXという言葉の認識が合致しているためです。

なお、否定派が危惧しているUI≒UXという誤認問題は、UI/UXという表記をどう解釈するか以前の非常に低次元な問題なので、今回の言葉の定義の問題からは明確に切り離して進めさせて頂きます。

言葉の本質について考える

「言葉」とは一旦何なのでしょうか。その本質は、自分と相手が同じ概念モデルを持ち、相互伝達できることにあると私は考えます。

この役割を全うする上で、確かに辞書に無い表現や意味は正しく訂正していくのが正義なように感じてしまいます。しかし、本当に辞書が絶対的正義なのでしょうか?私はそうは思いません。なぜならば、言葉は時代によって刻々と変化していくものであり、特に慣用句などでは元の意味や表記ルールを失い過半数が誤用をしたままそちらが正しい意味として認められたケースがいくつもあるからです。

有名な例は「存亡の危機」でしょう。正しくは「存亡の機」なのですが、国の調査(28年度)によると83%の人が誤用の方を正しいと認識しており、むしろ本来の存亡の機とはやや違ったニュアンスの新しい慣用句として広く定着したという事例です。

この事例からわかるように、言葉(特に慣用句)の意味は本質的に、誰か語学の専門家が中央集権的に決定するものではなく、コミュニケーションが成り立つことを最優先として自然発生的かつ大衆からのボトムアップ的に確定されていくものなのではないでしょうか。

これはインターネットミームの構造と非常によく似ています。(笑)が時代と共に「w」になり現在は「草」という言葉で普及していますが、この「草」という言葉の新たな意味はミーム化をうけて三省堂の新国語辞典に掲載されたことで話題になりました。

つまり言葉とは、本来の正しい意味を維持することよりも、その時代の大多数が同じ概念モデルをもって認識できることの方が重要であり、定義は常にアップデートされていくというのが私の考えです。

これをUI/UXという言葉の問題に置き換えると、UI/UXという表記が登場した当時は確かに否定派の人達が主張するように「UI」や「UX」という単語に対する誤った認識を含んだ意味合いで使われてたのかもしれませんが、元の意味がどうだったかという事に意味はなく、これらに対する理解が十分に進んできた今の時代であれば、また違った意味をもつ言葉として再定義されてもいいのではないだろうか?ということが言いたいのです。ということで今日ここで改めて定義してしまおうと思います。

私(たち)の考える「UI/UX」の定義

じゃあおめぇの考えるUI/UXの"正しい意味"ってヤツを早くしめせよオラオラとか聞こえてきそうなので、書きます。ただし、これは私が中央集権的に「こうすべきだ」と強制する定義ではなく、言葉の認識に対する一定の指針を示す目的で、あくまでこれまで「UI/UX」という単語を使ってコミュニケーションをとってきた数多の人たちの概念モデルの平均値をとった認識を代筆している。というスタンスであることを予めお断りしておきます。

大前提として、UIはUserInterfaceであり、UXはUserExperienceです。それ以上でも以下でもありません。そもそもここを誤認している人はまず理解してきてください。

いいですか、もう私はこの記事の公開以降、UI/UXと書いてる奴はクソだモグリだ的な話には一切耳を傾けませんよ。もうこれ以上不毛な話はしたくないので。

UI/UXとは、「UserInterface操作から得られる限定的な接点および時間軸におけるUserExperienceのこと」である。

はい。誰がなんと言おうと、私はこの意味で「UI/UX」という表記を堂々と使います。「/」という記号の捉え方として、従来の否定意見にあったような並列関係ではなく、包括関係と捉えているのがポイントです。

また、私個人としてはこの「〜〜から得られる限定的な接点および時間軸におけるUX」という定義において、●●/UXの●●部分には別に何が入ってもいいとも考えています。PR/UXでも、CS/UXでも、Sales/UXでも、なんでも応用できます。なお単純にユーザー体験全体を指し示したい時は、捻くれずただ「UX」と記載すればいいだけの話です。なにも難しいことはありません。

【追記】この記事を最も必要としているであろう初学者の方に対して、いきなりUXの包括関係がどうのこうのと言ってもイメージできないと思うので、概念の図解を追加しました。

f:id:information_architecture:20190328044023p:plain

f:id:information_architecture:20190328044030p:plain

もしこの定義にまだ違和感がある方がいらっしゃったら、コメントでもDMでもなんでもください。ただし、記事の内容や趣旨を理解した上での言葉の意味定義に対する意見はお受けいたしますが、「お前の定義は間違っている!」「この通りに修正しろ!」みたいな話はお断りします。あくまで言葉の意味はボトムアップ的に決定されるというスタンスですので。

ご賛同いただける方は、これからも遠慮せずバンバンUI/UXという言葉を使って行ってください。意味や解釈はUIの形態が多様化するにつれて刻々と変化していくでしょうが、その言葉を使い続けることによって共通認識(概念モデル)が醸成されていくことが、なにより重要なのです。

なお、誤用の例からひとつ確実に言えることは、いくら誤用(とあえて表現しますが)されたとは言え「存亡」「危機」「(時)機」という、慣用句を構成する単語の意味は全く穢されないということです。

UI/UXという言葉は、UserInterfaceとUserExperienceの2語が連結した極めて慣用句に近い言葉ですが、上記の例からわかるように、UI/UXという表記を誰がどう解釈しようが、UIおよびUXという元の単語の意味を歪めることは絶対にありませんので、どうぞご安心ください。

こんな下らないことでストレスを抱えるのはもうやめよう

どうも「UI/UX」にアレルギーを起こしている人は、総じてその書き手がどんな考え方や捉え方でその言葉を使ったかを加味せず、条件反射的に批判をしているように感じます。これは「正しいと定義されていないものは間違いだ!」という極めて原理主義的なスタンスであり、また、正解から外れた言葉は問答無用で矯正するというのはやや過激派的な危うい発想にも感じます。

そういったUX原理主義過激派の方々全員に「あなたはそう考えてるかもしれませんが、私はこう考えてます。」と言って回れればいいのですが、そうもいかないのでこうして記事の形で自分の考えを明記するに至りました。

言葉を使っただけで誰か(とくに先輩的な人物)から批判されるかもしれないという環境は、初学者が発言時に余計な萎縮してしまうのでよろしくありません。

こんな些細な言葉尻で神経をすり減らす人が居なくなり、もっと有意義で本質的な「UX」についての議論が行われることを期待しています。