酔いどれデザイン日誌 - Drunken Design Diary -

都内でデザインファームを営む酔っ払いが、UI/UX論やデザイン思考論を書き殴ります。

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ローソンのPB商品パッケージはデザインの敗北なのか?を真面目に考察してみた

お久しぶりです。東京の端くれでデザインなるものを嗜む者です。

はじめにお断りしておきますが、私は専門のグラフィックデザイナーではありません。なので、今回のテーマであるローソンPB(プライベートブランド 以下PBと表記)商品のパッケージ改修については門外漢なのですが、世間が叩いてる箇所に色々な視点があって面白かったので、考察記事にしてみた次第です。ローソン公式の見解や意図とは違う推察があるかもしれないので、その点はご容赦ください。

目次

ローソン新しいPB商品のパッケージはなぜ叩かれているのか

色々な怨嗟の声がこだまするSNSですが、ローソンPB叩きの声を大別すると以下のようなパターンに分かれてるのではないかと思います。

  • 購買意欲をそそられない
  • オシャレさ優先の自己満足デザイン(笑)
  • 他のPB商品と区別ができない

では、これらの意見について、ひとつひとつ考察していきます。

購買意欲をそそられないという意見について

メーカー製商品のパッケージと並べて撮影し、「これ作ったデザイナーはこのパッケージで買いたいと思うのか?」のような怨嗟の声をあげるパターンです。個人的には、この意見は「叩く視点」がズレていると感じます。

そもそもPB商品を購買する理由は何でしょうか?「メーカー品に比べて安い」というのが、唯一にして最大の優位性ではないでしょうか。ローソン側もそれは重々承知していると思います。

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(画像:PB商品の強みは圧倒的な安さにある)

つまり、PB商品において購買意欲は主に「価格」によって決定されているので、パッケージから美味しさが伝わってこないとか、シズル感がないとか、そういった意見はすべて的外れだという風に解釈して、今回の議論からは切り分けることが妥当でしょう。

個人的にはメーカー製品と遜色ないパッケージのPB商品を、メーカー製と間違えて買ってしまった時の方が、ストレスが大きいです。PBには「どの商品よりも安い」というPBにしかない役割があり、それを正しく伝えることがPBのパッケージデザインに求められる絶対条件※です(※注:プレミアム商品は除く)。

オシャレさ優先の自己満足デザイン(笑)という意見について

「デザインは見た目をオシャレにすることじゃない!」という、ある意味正しいデザイン知識をお持ちの方々に多い怨嗟の声です。個人的にはこの意見も「叩く視点」がややズレていると感じます。

なぜこの声が大きいか考察してみたのですが、おそらく賞賛側の声が「可愛い〜!」とか「インスタ映えする〜!」とか、そういうコメントばかりなのに加えて、担当デザイナーの声として切り取られているのが「女性でも手に取りやすいように〜」のような発言なので、このパッケージ変更の方針が、キラキラのアーティスト系デザイナーの手によるものだと認識しているのかなと思っています。

しかし、皆さん可愛いパッケージイラストに引っ張られてますが、私は今回のパッケージ変更の路線はガチガチのインダストリアルデザイン思考による極めて合理的なもので、キラキラ✨とかインスタ映え📷とは、対局な方針に基づいていると考えています。

インダストリアルデザインとは、工業製品において商品を大量生産・大量消費に耐えうる設計にすることを指します。ということを念頭において、今回の新PBパッケージの特徴である「シンプルさ(裏返すと区別できなくなってしまったこと)」や「余白の多さ」は、オシャレさ演出のためでしょうか?

そこには違う意図があるように思いませんか?

(補足:今回のPBリニューアルプロジェクトのメインデザイナーの方の対談記事をいくつか拝見しましたが、とてもロジカルかつ現実的にに物事を考えられているタイプのデザイナーで、決して感覚と思いつきでものづくりをするタイプではなかった印象です。)

インダストリアルデザインにおいてシンプルであることとは

まず、シンプルさについて。これは大量の商品ラインナップを扱うPBならではの課題を解決するための方針転向だと推察できます。パッケージデザインを一つ一つ手作りするというのは、皆さんが思っている以上に時間と労力を要する作業です。

メーカー製商品がなぜあんなに美味しそうで魅力的なパッケージなのかというと、デザイナーが多大な時間と労力をかけているためです。なぜこれができるかというと、メーカー製品は製造する商品ラインナップが限定的であるためです(例:乳製品メーカーならコンビニにあるのは牛乳・ヨーグルト・バター・チーズくらいなので、時間と手間をかけられる。)。

当然、あらゆる商品ラインナップを網羅するPBで、このように非常にコストのかかる工程を毎回踏んでいる余裕はありません。そのコストをカットするため、文字の差し替えだけで大部分が完了するパッケージのテンプレートを用意した結果、「ミニマルでシンプルな今っぽいオシャレパッケージ」になった。というのが、今回の事の顛末かなと推察されます。

とはいえ、シンプル=悪・オシャレ=悪ではありません。シンプルでありながら、わかりやすく使いやすいというデザインになっていれば、このようなオシャレさが悪目立ちするような批判は生まれなかったのではないでしょうか。

「余白が多い」・「文字が小さい」のはなぜなのか

今回のパッケージのもう一つの特徴として、パッケージ全体に対する余白の多さが挙げられます。

一般的に余白多めの文字が小さいデザインは、余計な装飾を排除したオシャレで洗練されたグラフィックに用いられる手法の一つです。ただし、インダストリアルデザインの文脈で考えると違った理由が見えてきます。

それは、印刷に使用するインクの量が少なくて済むということです。

シズル感のある大きな商品写真や、大きく判読のしやすい商品名などを実現するには、パッケージに印刷するためにそれ相応のインク量が必要です(インクのコスト感については、門外漢なので完全に的外れの可能性もありますが・・・)。

先述の通り、PB商品における絶対的な価値は「他の商品より安いこと」であるため、パッケージの原材料費においても徹底的なコストカットを実現できる余白の多さは、非常に合理的な選択だったと言えます。

文字が小さい理由も、最も使用量の多い黒インクを少しでも削減するためのギリギリのラインを攻めた結果だと推察されます。

ここまで合理的なデザインであるのにも関わらず「オシャレさ優先(笑)」などと言われてしまうパッケージデザイナーの方の無念を汲んで代わりに解説してみましたが、これは決して公式見解ではないのでその点は悪しからずご了承ください。

とはいえどのような意図や経緯があったにせよ、結果として視認性が悪いというのはパッケージとしての役割の大前提が達成されていないレベルの問題ですので、パッケージデザインとしては総合的に失敗している事例と言えるでしょう。

他のPB商品と区別ができないという意見について

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(画像:同じイラストを用いているため同じ商品に見える別のビール)

最後の叩き視点ですが、これについては全面的に同意です。今後パッケージを改善していく上で最も重要な視点は、間違いなくここです。

インダストリアル路線でテンプレート化したパッケージですが、それに伴って中身を知るための情報としての写真やイラストを控えめにしすぎてしまった(しかも、ある系統の商品は別商品で全く同じイラストを用いている)ことで、商品名を全部読まないと区別できない非常に不便なパッケージになってしまっており、視認性・識別のしやすさなどにおいて商品のパッケージデザインとしては完全敗北していると感じます。

同様のインダストリアルデザイン思考路線で(パッケージに対する批判があまり聞かれないという意味で)成功している無印良品などのパッケージデザインは、なぜほぼ文字だけのシンプルでオシャレなものでありながら、しっかりと区別がつけられるのか?

私なりに考えてみましたが、無印良品のパッケージは極力中身の見える透明な袋を利用しており、不透明な袋を利用せざるを得ない場合は大きめのイメージ写真を用いています。また、英語と日本語を混在させない、商品名は最も大きい太字にする等、徹底して統一した商品名表記フォーマットに則っているというのも特徴でしょう。

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(画像:無印良品の中身が良く見える透明パッケージ)

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(画像:無印良品の大きな写真で中身がイメージできる不透明パッケージ)

対してローソンPBは透明の包装もありますが、中窓になっているなどで全面ではなかったりして視認性はあまり高くありません。また、透明な袋であっても、食パンのように中身が見えても区別がつかないような商品もあります。不透明袋を用いる場合は、こじんまりした写真やイラスト以外に内容物を判別する手段がありません。さらに、豆腐や納豆やサラダなどは、商品名で最も目立つ部分の表記が唐突にオシャレフォントの英語になっており、PB全体での商品名表記ルール※がまだ曖昧な印象です(※パッケージの中のどこが商品名なのか、ぱっと見でわかるルールのこと)

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(画像:ローソンの中窓になっている透明パッケージ)

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(画像:ローソンの商品名がオシャレフォント主体の不透明パッケージ)

以上の観点から、ローソンPBパッケージデザインの次なる改善課題は「安さに寄与する」という大前提を満たしつつ、商品の区別のしやすさを担保することと見て間違いないでしょう。商品開発部門の皆さん、頑張ってください。

結局、これはデザインの敗北事例なのか?

改めて結論を書きますが、個人的な感想としてはデザインの敗北と呼んで差し支えない事例だと思います。

ただ、その際の視点として「美味しそうに見えない」や「自己満足アート作品」などの、グラフィックの方針や作者の趣味嗜好・制作姿勢についての意見は問題の本質ではない気がしたため、あのパッケージが生まれるまでにどんな経緯があったのか推察して考察してみた次第です。

今回の問題の本質は、商品情報を購入者に伝えるのが役割(発見できる、区別できる、理解できる 等)であるパッケージデザインというデザイン分野の大前提において未達という、いわば競技レギュレーションに違反しているような状態にこそあり、すでに皆さんがご指摘のように公共性の高い施設・製品群におけるユニバーサルデザイン視点の軽視(あるいは特定の層という一面性に特化しすぎた)というのが、最も大きかったと言えるでしょう。

逆に、今のパッケージのようなオシャレでミニマルなクリエイティブ方針のままでも、課題の本質である識別性さえ改善すれば、すんなりと受け入れられると思っています。ゆえに十分にリカバリー可能な敗北だと思いますので、旧パッケージに戻すといった撤退戦のような対処になってしまわない事を期待しています。

さらに実店舗を見てわかった、コンビニの業態的な落とし穴

この記事を書くにあたって、実際に近場の無印良品1店舗とローソン2店舗を、比較のために見てきました。

そこで気づいたのですが、無印良品はすべての陳列棚でしっかりと商品名ラベルが確認できるように照明や配置が綿密に調整されている一方、ローソンは店舗ごとに陳列ルールも什器のタイプもまちまちで、商品名ラベルが完全に影になって隠れてしまう商品もありました。

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(画像:ローソンの影に隠れてしまって商品名が判読できない陳列状態)

これは、コンビニがフランチャイズ経営というモデルを用いていることによる盲点だと思います。恐らく、商品開発時点では本部直轄の店舗で実証実験をしていたのだと思いますが、実際に多いのは、陳列ルールが各店舗に委ねられるフランチャイズ経営の店舗であり、現場まで本部の目が行き届きません。

結果として、このような設計時の意図と違う陳列方法が多発してしまい、識別性をより一層損なうという結果になってしまったのでしょう。設計時にコンビニの業態的な特性や現場の実情についてもう少し考慮が及んでいれば、回避できた問題だったかもしれませんね。

デザイナーの人格を叩くのではなく、成果物に対するフィードバックをしよう

皆さんにお願いがあるのですが、世の中で何か不便なデザインを見つけた時は「このデザイナーと意思決定者を解任しろ!」とか「デザイナーはバカだ!」とかの人格に対する攻撃ではなく、「この製品はここがクソだった」や「もっとこうすればいいのになんで?」など、人格ではなく成果物に対する批判をしていただけないでしょうか。

デザインを生業として者として擁護すると、デザインはデザイナー1人の意向で作られているわけではありません。そこには経営上の目標があり、予算など様々な制約があり、それでも解決したい課題があり、関係部署や他社の動向に対する配慮が必要などなど、さまざまな変数の間を縫うように、大勢の力を借りながら作りあげる必要があります。

このような状況で、「デザインがクソなのはデザイナーがすべて悪い!」などと言われると、これからデザイナーを目指す有望な人材がいなくなってしまいます。世界的デザインコンサルティングファームIDEOのCEOであるティム・ブラウンも講演で使った、1900年代の著名なインダストリアルデザイナー Raymond Loewy氏の言葉を借りるならば

Design is too important to be left to designers.
デザインはデザイナーだけに任せるには重要すぎる。

です。

批判意見自体はあって当然ですし、製品をより良くするために必要なものです。ただ、製品に対する批判を個人に対する批判に帰結させるのは、やめてください。個人をいくら叩いても企業は動きませんし、何も改善されませんよ。

今回の件をみて、SNS上での集団心理を得た批判意見の広がり方について恐ろしいと思う一方、ネガティブな感情であれなんであれ、あの規模のユーザーテストとマーケティングデータが(無料で)大量に集められているのは凄いことだと関心しています。

このようなユーザーからの大量の声を、企業とユーザーのお互いにとって有益な形で健全にフィードバックされる社会になることを願っています。